
日音の村上司さんについて回想します。日本の歌謡史に数々の名曲を残した村上司さんとの出会いに始まり、筒美京平さんとの関わり合いや、尾崎紀世彦「また逢う日まで」を大ヒット曲にした村上司さんのエピソード。また、村上司さんの留学先だったリーズ・ミュージックのルー・リーヴィーとボブ・ディランの話も交えながら村上司さんの功績や音楽出版社としての役割をご紹介します。 【村上司さんとの出会い】 ●村上司(1936/2/13 – 2005/6/5): 株式会社日音元代表取締役会長。大学卒業後、父親の紹介で日本レダリー(武田薬品工業とアメリカのアメリカン・サイアナミッド・カンパニーが設立した合弁会社)で勤務するが、1963年10月に日音(当時は日本音楽出版)に入社。翌年、渡米しリーズ・ミュージック(現・MCAミュージック)にて研修を受けて帰国。その後は多くの楽曲の開発とプロモートを展開し、日本の音楽出版ビジネスの先駆者となった。 ●草野昌一(1931/2/4 – 2005/6/6):日本の音楽出版ビジネスの先駆者。→他、#38を参照 ●フォルスター事務所:米国の放送会社NBCの東京支社長ジョージ・トーマス・フォルスターが、連合国最高司令官から著作権仲介業務の許可を受け、NBC東京支局内で業務を開始した会社。当初の業務は、主に海外の出版社から日本語に翻訳出版する権利を取得する上で、日本の出版社に許諾するという仕事だった。 【筒美京平さんとの仕事】 【リーズ・ミュージックへ留学した村上司さん】 ●ルー・リーヴィー(1910/12/3 – 1995/10/31):作詞家のサミー・カーンと作曲家のソール・チャップリンとともにリーズ・ミュージック・コーポレーションを設立した(のちにMCAに買収)。ヘンリー・マンシーニやジェリー・ロスらを見出したことでも知られ、ビートルズのアメリカで最初のヒット曲「I Want To Hold Your Hand」の出版をはじめ数々のヒット曲に関わった。1958年から1970年まではASCAPの理事を務めている。 【「また逢う日まで」ができるまで】 ●尾崎紀世彦「また逢う日まで」(1971年):尾崎紀世彦にとってソロ2枚目のシングル。ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」を改詩改題して尾崎紀世彦が歌った作品で、共に阿久悠作詞、筒美京平作曲。第13回日本レコード大賞・大賞受賞曲。 ●ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」(1970年):1968年春に結成し、1971年には解散した日本のグループ・サウンズバンド。その後、ソロでデビューする町田義人が在籍したことでも知られる。これは彼らにとって4枚目のシングル。 【海外で痛感した村上司さんの実力】 ●チャック・ケイ(1941/8/28 – 2021/2/1):1960年代にフィレス・レコードでキャリアをスタート。→他、#36を参照
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#45 【特別対談:林哲司④】林哲司さんの作品で朝妻が挑んだ海外進出とその功績

#44 【特別対談:林哲司③】「September」と「真夜中のドア〜stay with me」

#43【特別対談:林哲司②】 バート・バカラックとフランシス・レイ

#42 【特別対談:林哲司①】林哲司さんとフジパシフィックの出会い
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